歴史上の黎里とは、代表性のある江南商業重鎮であり、南宋から今現在までに既に891年の歴史(2018年まで)がある。黎里は唐代に村を成し、北宋時期に東西という相当な規模のある村が形成され、西暦1127年に、趙宋は南へ遷移し、黎里の人口は激増し、集市に昇格した。明代の成化、弘治年間に呉江県の巨鎮になった。浙江、安徽、湖北、河南等各地から到来した顕官貴人、名門望族はここで定住、発展し始めて、清代中期になって「周、陳、李、蒯、汝、陸、徐、蔡」という八大の氏名が出てきた。
素封家は富貴を示すため、弄堂1条を完全に持つことがあり、一般的に「某家弄」と呼ばれている。黎里には、このような氏名を付ける弄堂は鎮弄堂全体の総数の半分を占めている。六七百年の歴史は煙のようにあっという間に過ぎて、鎮全体は今現在になっても弄堂115条を保留してあり、この中に暗弄堂90条、百メートル以上11条があり、また、明暗並立の双弄、二条の暗弄並立の双弄、子母弄と三交差式の弄中弄もあり、江南古鎮の一番にも言える。
黎里とはストーリーのある所になっている。一条の巷弄、一口の古井、一つの軒先や一つの煉瓦、一つの回廊や一つの柱も静かに千百年間に渡ってここに発生した昔話を述べているようである。ここには宋代の橋と井、元代の欞星門、明代建築の鴻寿堂と進士第があり、清代の古建築はもっと多くて、祠堂周宮傅祠、名園の端本園、蔵書楼、著名な庁堂李庁、名人を記念する東聖堂などがある。また中西を折衷する建物、例えば洋涇濱天主堂、施家洋房などがある。
古市河は蜿蜒として流れており、水郷の傑出した人物が出てその土地が有名になる雰囲気を育っていた。黎里は人文が抜群し、人材が輩出していた。古代に工部尚書の周元理、特奏名状元の魏汝賢、翰林院待詔の徐達源、愛国将軍の張曜があり、近代に愛国学士の柳亜子、一代影後様の殷明珠、革命烈士の張応春、国際裁判官の倪徴燠等がある。先賢の文化は代々の黎里人が絶えずに奮起前進を激励している。
黎里は、気にかかってたまらないようにさせる以外、またここに見た目に全然目立たないが味が素晴らしい美食もある。辛い鶏の足、酒造餅、麦芽餅、飴糖、小ワンタン、虎豆などで、一々と食べた後にその裏にある本当の意味を味わうことができる。味の中に江南人なり独特な生活雰囲気を挟むことがあるからこそ、美味しくたまらなくなるものである。
来黎里,慢下脚步,体验恍如隔世的时光感,感受它的清幽恬淡。如此,才是真正来过黎里!
黎里に来ると、歩みをゆっくりとして、まるで隔世のような時間感を体験したり、独有した清らかで穏やかを感受したりしてみよう。このように、本当に黎里へ到来したことがあると言えるだろう!